![](https://aokiya.net/wp_aokiya2022/wp-content/themes/aokiya/img/page-history/history-hd01.jpg)
![](https://aokiya.net/wp_aokiya2022/wp-content/themes/aokiya/img/page-history/history-hd02.jpg)
![](https://aokiya.net/wp_aokiya2022/wp-content/themes/aokiya/img/page-history/history-hd03.jpg)
![](https://aokiya.net/wp_aokiya2022/wp-content/themes/aokiya/img/page-history/history-hd04.jpg)
青木屋ものがたり
明治二十六年の創業から、まもなく130年。
青木屋の歴史は、数々の挑戦の歴史でした。
時を遡って、今にも伝わる青木屋の
挑戦エピソードをご紹介します。
三代目 加藤次郎から受け継いだ、
挑戦する菓子づくり。
青木屋のはじまりは、東京の府中にある
大國魂神社の境内での万頭の商いでした。
創業者の祖父幸吉と、父の松五郎の跡を継いだ
加藤次郎が、青木屋の菓子づくりの土台を
築き上げた人物です。好奇心が旺盛で、
何事にもチャレンジする性格でもあり、
「モノマネでは、人の心を決して射ることはない」
と語り、数々の挑戦をしてきたのです。
![](https://aokiya.net/wp_aokiya2022/wp-content/themes/aokiya/img/page-history/history-img01.jpg)
![](https://aokiya.net/wp_aokiya2022/wp-content/themes/aokiya/img/page-history/history-obj01.png)
東京でも希少な
アイスクリームへの挑戦。
ある日、加藤次郎は浅草で見かけた、
風変わりな味で
人気のアイスクリームを
青木屋でもつくれないかと考えました。
新しいものは誰よりも早く導入したい性分で、
当時では非常に珍しい冷凍機を導入。
ついに完成したアイスクリームを自転車に乗せて、
街中でチリンチリンと鐘を鳴らしながら
売り歩いたところ大人気で
遠方からも多くの
お客様がいらっしゃいました。
数年後、後を追うようにアイスクリーム屋さんが
次々に誕生したそうです。
![](https://aokiya.net/wp_aokiya2022/wp-content/themes/aokiya/img/page-history/history-img02.jpg)
![](https://aokiya.net/wp_aokiya2022/wp-content/themes/aokiya/img/page-history/history-img03.jpg)
![](https://aokiya.net/wp_aokiya2022/wp-content/themes/aokiya/img/page-history/history-obj02.png)
大手メーカーに先駆けて、
菓子の冷凍化を実現。
柏餅の時期は、鮮度を保ったまま大量に
製造するために、みんな徹夜で働いていました。
そこで、加藤次郎が考えついたのが、
魚を冷凍する技術を菓子に活かすこと。
菓子屋として、前代未聞の冷凍化への道。失敗を重ねながら、
東京オリンピックが終わった昭和43年、
ついに青木屋は独自の冷凍施設と冷蔵庫を
完成させました。
この出来事は新聞にも掲載され、
全国の大手メーカーまで視察に訪れたのです。
![](https://aokiya.net/wp_aokiya2022/wp-content/themes/aokiya/img/page-history/history-img04.jpg)
![](https://aokiya.net/wp_aokiya2022/wp-content/themes/aokiya/img/page-history/history-obj03.png)
菓子職人魂で、砂糖の代わりに
ハチミツを代用。
食糧事情の悪化した昭和17年。
菓子の命とも言える砂糖の入手が、
極めて困難になりました。
そこで加藤次郎が取った策は、
高価で貴重なハチミツを活用すること。
あてもないまま、
思いだけでハチミツの産地まで赴き、
菓子への使用を実現した。
当時のハチミツはそのまま売った方が高くなる。
しかし、職人魂がそれを許しませんでした。
品質において「妥協しない、良いものは
引かずに加える」という
菓子づくりの教えが今もあります。
![](https://aokiya.net/wp_aokiya2022/wp-content/themes/aokiya/img/page-history/history-obj04.png)
世のために、
ぜひなくてはならぬ店になりたい。
数々の挑戦で、青木屋の礎を築いた
加藤次郎が残したのは、
菓子づくりの技術だけではありません。
今にも伝わる教えです。
商品は生き物。
不良品ひとつで信用がなくなることもありうる。
だから、「いいものを造れ、
恥ずかしくないものを世に出せ」と語りました。
また、菓子はお客さまの食前に上がります。
だから、「菓子に関しては、
妥協は一切許されない」。
和菓子の命は餡子である。つまり、
「小豆の良し悪しが味を左右するのだ」と。
これらの精神が、今日も青木屋の人に、
菓子に受け継がれています。
「世のために、ぜひなくてはならぬ店になりたい。これが青木屋の念願です」
![](https://aokiya.net/wp_aokiya2022/wp-content/themes/aokiya/img/page-history/history-img05.jpg)
![](https://aokiya.net/wp_aokiya2022/wp-content/themes/aokiya/img/page-history/history-obj05.png)